今回のテーマは「努力」についてです。
『努力は必ず報われる』『練習はウソをつかない』などの聞き心地のいいセリフが至るところで飛び交っています。しかし、結論から言うと努力が報われるとは限りませんし、練習も平気でウソをつく可能性があります。
※僕が個人的に思うことがあるのですが、あまりいい表現ではないかもしれませんのでご了承ください。
「努力は必ず報われる」という言葉は、必ずしも真実ではありません。
努力や練習が常に正しい結果をもたらすわけではなく、間違った方法での努力は時間の無駄になり得ます。
実際に、かの有名な10000時間の法則ですら、その大部分を説明できていない可能性が高いと研究で報告されています。
努力した過程が美しい?
日本では努力する姿が美化されがちですが、結果に結びついていない努力は過度に評価されるべきではありません。
そもそも、努力をすることは当たり前であり、特別視されるべきではないと私は考えます。
僕の大好きなアニメ『クレヨンしんちゃん』の野原ひろしの言葉に次にようなものがあります。
努力することというのはウンコをすることと同じだ。 踏ん張ること。 毎日すること。 水に流すこと。 その姿は決して人には見せないこと。
努力は日常的なものであり、その過程を他人に見せるものではありません。
努力を評価してもらいたいなら、結果を出すことが唯一の方法なのです。
自分で努力をしていると思っている段階は本当に努力しているとは言えないとも思っています。 「こんなに頑張っているのに...」「これだけ努力しているのに...」「あの人よりも頑張っているのに...」そう思っていることも本来お門違い。
頑張っていると判断するのは他人であり、自分ではないのです。
#005の『自分の感じる変化はぶっちゃけ勘違い』と同じかもしれませんね。
どこかで認めてもらいたいという欲が先走ってしまうので、まずは淡々と活動を続けて、何かしらの結果を出すことが先です。
間違った努力をしない
前提として、成果は必ずしも努力の時間に比例するものではありません。
間違った努力を避け、目標達成に向けた適切な努力をすることが重要です。
例えば、短距離走を速く走りたい場合に長距離走のトレーニングをするのは不適切です。
ポケモンの炎タイプには炎タイプの努力がありますし、水タイプには水タイプの努力があります。
自分の目標に合った努力を選択し、それを継続することが、真の力になります。
「継続は力なり」という言葉には、『"適切な努力の"』という枕詞が前提となっていることを忘れずに、自分の努力が目標達成に向けて適切かどうかを常に自問自答することが大切です。
以上、『努力が必ず報われるとは限らんのよ。』でした。
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